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歴史報道・教育の大逆:【日本政府が和平への公式の提案を行った後に――私は繰り返す、後に――広島と長崎の破壊が命令されたことを、私は以下に示すつもりです。】

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広島長崎に原爆を投下されたことが きっかけで日本が降伏した
あなたは,そう思っていませんか?



真珠湾攻撃

私は宣戦はしない。戦争をつくるのだ 


by F.D.R.             


フランクリン・D・ルーズベルト大統領の長女の娘
婿だったカーチス・B・ドール氏は、その著書『操
られたルーズベルト』の中で、間近に見たルーズベ
ルトの私生活から公務、政治上の裏話を描いた。
 
当時、ホワイトハウスと国務省の中で進行した秘密の計略を知る立場にあったドール氏は、本書で「ルーズベルトはある勢力によって操られていた」と書いています。そのある勢力とは、戦争を起こすことによって大きな利益を得る集団=国際金融エスタブリッシュメントと国際共産主義者。具体的にはバーナード・バルークを筆頭にフェリックス・フランクファーター、ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア、ハリー・ホプキンス、ハリー・デクスター・ホワイト、ジョージ・C・マーシャル、ヘンリー・L・スチムソン、アルジャー・ヒスなどです。
 
以下にご紹介する文章は、ナショナル・エデュケーター紙のヒルダー氏がドール氏にインタビューした対談記録です。
 
『操られたルーズベルト』第二部 パールハーバーの謀略 より引用
 
パールハーバーの謀略 
カーチス・B・ドール
アンソニー・ヒルダー
 
はじめに 
1941年12月7日のパールハーバー攻撃に至った出来事の真相を、あなた方に知らせることが出来る機会を得たことを、私は大変嬉しく思います。この攻撃は、合衆国政府の高官層の中で動いていた「汎世界銀行カルテル」とその代理者たちによって引き起こされただけでなく、待望され歓迎されました。平和を愛する日米両国民の上に落ち掛かったこの惨劇を回避する為に、事前に十分な警告が可能であったことは、当時よく分かっていたのです。
この同じ「汎世界銀行カルテル」当事者は、国際警察軍と世界統一通貨を持つ、国際連合タイプの統一世界政府による世界独裁制――人民の解放でなくその奴隷化のための――を画策した。彼らは日本とアメリカの偉大な文化と伝統を貶め、破壊する方途を探していたのです。世界平和を推進するという見せ掛けの下に、意図的に第二次世界大戦を起こしたのでした。
その同じ国際線総謀略者とその手先は、中国を毛沢東とその追従者に渡すために、第二次大戦の終了を故意に遅らせました。中国大陸にあなた方の敵を作り上げつつある間に、彼らは国際共産主義に東ヨーロッパを手渡してしまったのです。
彼らは赤色ロシアに北朝鮮を取り込ませるために、意図的に戦争を長引かせました。そしてあなた方の咽喉部の戦略的重要地を彼らに与えるべく、樺太と千島を売り渡したのです。
無辜の男女、子供を大量殺戮し、ベビーベッドに寝ている赤ん坊を生きながら焼いた広島と長崎への原子爆弾の投下を命令したのは、アメリカにおける外交問題評議会(The Council on Foreign Relations 以下CFRと略す)と一身同体の、これらの戦争謀略者たちでした。この残忍な凶行を上回るものは、ただドレスデンの虐殺(訳注・アメリカ・イギリス空軍の爆撃による。死亡者は38万人に上った)があるのみです。日本政府が和平への公式の提案を行った後に――私は繰り返す、後に――広島と長崎の破壊が命令されたことを、私は以下に示すつもりです。
コロンビア特別区ワシントン リバティロビー 委員長 カーチス・B・ドール大佐
 
本稿は、ナショナル・エデュケーター紙(The National Educator)の報告者アンソニー・ヒルダーがカーチス・B・ドール氏にインタビューした、その対談記録である。カーチス・B・ドール氏は、ルーズベルト大統領の養子であり、当時ホワイトハウスと国務省の中で進行した秘密の計略を知りうる立場にあった。現在生存する如何なるアメリカ人にも増してドール氏は、当然非難さるべき人たちを浮かび上がらせ、「パールハーバー」の全体像を適切に展望することの出来る唯一の人物である。                      <INSTITUTE FOR HISTORICAL REVIEW>
 

真珠湾攻撃の4ヶ月前にすでにルーズベルト大統領が日本への空襲を承認していた事を示す動かぬ証拠。
ヨーロッパから支那にB-17を移送して大陸から日本本土空襲を行おうとするもの。
FDR(Franklin D. Roosevelt)のサインがある公文書。
Cover letter of official U.S. "Joint Army-Navy Board No. 355" paper authorizing American bombing raids against Japan. The top secret document is signed by the Secretaries of War and Navy, and bears Franklin Roosevelt's initials of authorization and a handwritten date, July 23, 1941 – more than four months before the Japanese attack against Pearl Harbor.
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米国大統領ルーズベルト:真珠湾攻撃1周年記念でラジオ放送した時の様子。

米国大統領ルーズベルト:真珠湾攻撃1周年記念でラジオ放送した時の様子。
  私は戦争を造るのだ    


ヒルダー:現在生きているすべての愛国的アメリカ人は、あのアメリカ史上最悪のパールハーバー(真珠湾攻撃)での損失の壊滅的衝撃を経験しています。

しかし我が政府内にこのような行動を挑発した者がいたと信じることは、我々の今までの考えをぐらつかせるものですね。この角度から話を進めて頂けませんか。
ドール:その角度からの疑問は、どうしてこのような大規模な奇襲が可能であったのかという、最もな問いを代表するものです。アメリカ人はテニソンの詩「軽騎兵」の中の”誰かがしくじった”という下りを確かに思い出すでしょう。しかし更に多くのことが隠されているのです。「しくじり」と名付けられているよりもずっと酷いことが、つまり、それはそうなるように計画されていたのです。

ヒルダー:そうするとある強力なアメリカ人――そしてアメリカにおけるある勢力――がパールハーバー攻撃を起こさせるように秘密裏に動いたと、あなたはおっしゃるのですね。
ドール:正しくその通りです。そのことはハリー・エルマー・バーンズ博士とチャールズ・カラン・タンシル教授のような歴史家、ロバート・A・セオボールド及びハズバンド・E・キンメル提督のような軍人が同様に結論付けています。

ヒルダー:彼ら専門家が特別な証拠としたところを明らかにして頂けませんか。
ドール:もちろんですとも。例えどんなに完璧になされた計画でも、誰かが”豆を零す”ものです。それは正しく当時の陸軍長官ヘンリー・L・スチムソンが、彼の1941年11月25日の日記で犯したところです。スチムソン長官は次のように述べています。
「問題はいかに彼ら(日本人)を誘導して、我々があまり大きな損害を蒙ることなく、最初の弾を撃たせるかだ。これは難しい計略だ」

ヒルダー:それはアメリカの見えない政府―外交問題評議会(CFR)と呼ばれた機関の構成員から漏れて来た、びっくりする告白ですね。大佐、どうして彼らは日本を誘い込み、動かして第一撃を打たせようとしたのでしょうか。
ドール:ホワイトハウスで1941年11月25日に開かれた運命的な会議の記録を読み返して見て、私の以前の岳父、ルーズベルト大統領および彼の側近たちの戦略は、平和を維持し保障することではなく、事件を組み立て、あるいは引き起こさせて、アメリカを日本との戦争に巻き込むという陰謀にもっぱら関わっていたと、私は悟ったのです。それを知って私の心は張り裂けんばかりでした。これは「裏口」からヨーロッパの戦争に入ることを可能にする計略でした。
アメリカ国民は日本との戦争を欲していなかったことを彼は十分に知っていて、それゆえにこそ、いかなるコストを払っても戦争をアメリカ国民の頭上に押し付けなければならなかった。かくて欺瞞に満ちた諸々のことが舞台に入り込み、アメリカ国民の激しい怒り、感情的爆発を起こす「事件」を創作することが必要になったのです。そこでこの怪しげなマントが、巧妙に日本人の肩に掛けられなければならなかった。これがスチムソンが「難しい計略」だと書いた理由なのです。
当時、その計略は、ますます難しくなっていました。というのは、ドイツの指導者は、アメリカとの戦争を欲しないし、ルーズベルト大統領と彼の主義上の、また政治上の操り師たちは、大部分が汎世界銀行カルテルとその親シオニストの友人たちで、彼らは共産主義勢力が政治的、金融的にドイツをしっかりとコントロールして、幾百万の人たちを支配するのを見たいと考えていた。罠は甘く仕掛けられ、日本はその中に落ち込んだのです。

ヒルダー:今の説明で、なぜ彼らが日本を操って戦争へ駆り立てたかが分かりました。しかし、スチムソン陸軍長官がなぜそれは「難しい計略だ」と言ったのでしょうか。
ドール:それはね、日本の豊田外相、ワシントンの野村大使、そして特派されていた来栖氏が、アメリカおよびイギリスと折り合えるように、真剣に交渉していたからなのです。東京にいた我々のジョセフ・C・グルー大使でさえも、ハル国務長官に豊田外相の提案を伝達したとき、
「日本とアメリカの間にまったき不毛の戦争の起こる可能性がまずます高まるのを避けるために、本官の持つあらゆる影響力を賭して、次のように勧告する。『深い祈りを込めた考慮なしに、この日本の提案を斥けないように……機会はここに提出された……最高の政治行動として、太平洋の平和に対する克服不可能な事態の到来を避ける機会はここに呈示されている』この機会を逃したならば、太平洋の平和の機会は明白に克復不可能なものとなろう」
と意見を具申しているのです。

ヒルダー:ハル長官は同様にCFRのメンバーでしたか。
ドール:疑いもなくそうでしょう。

ヒルダー:その時の日本の条件はどんなものでしたか。
ドール:11月7日、豊田外相はグルー駐日大使に次のように語りました。
「日本政府は4年前の状態に戻すことに合意し、そのために行動する用意がある。しかしアメリカは、過去4年間に進行した事態を、事実上一瞬の内に元に戻すことは、大変な大事業であることを理解すべきだ」
日本は、松岡外相と近衛公爵が1940年11月に、ジェームス・E・ウォルシュ神父(彼は赤色中国の監禁から1970年6月になって釈放された)を通じてワシントンに提案した条件を事実上、再提案したものだった。タンシル教授は次のように述べている。
「ニューヨーク州マリノールにあるカトリック海外伝道協会の総会長ジェームス・E・ウォルシュ神父に対して、松岡外相は、『日本政府は一つの平和協定を話し合う用意がある』ということを大統領に印象付けるよう特別な任務を逐行してもらいたいと語った。その協定は、日独伊三国同盟条約における彼らの役割を抹消し、中国から全兵力を撤収し、地理的、政治的統一を中国に回復させるというものであった」
明らかにルーズベルト大統領とハル長官は、1940年1月における「日本の中国における作戦の放棄」という融和的提案をほとんど完全に無視し、11月の日本提案さえも10ヶ条に上る最後通告によって蹴ってしまったのだ!
四年の後、1945年11月15日、アメリカ下院調査委員会で証言したスチムソン、ハル、ノックス各長官、スターク提督の秘密会合において、次のように述べたことを告白しています。
「日本人は無警告で攻撃するという悪名が高い。日本に最初に撃たせると、危険もあるが、アメリカ国民の完全な支持を得るためには、確実に日本人に最初に撃たせることが望ましい」
この最高首脳会合の翌日1941年11月26日、ハル長官は10ヶ条の敵意に満ちた要求を突き付けて、日本の融和的提案を斥けた。それについてタンシル教授はこう書いている。
「彼も大統領も、この提案が日本によって斥けられることは知っていた。妥協や調停の考えは全くなかったのだ。実際上(それは命令した)『日本政府は中国及びインドシナからすべての陸軍、海軍、警察力を撤退させること』…次の段階が戦争であることは明らかであった」
私は後で述べますが、これらの最終条件はヘンリー・モーゲンソー財務長官の補佐官ハリー・デクスター・ホワイトによって、ハル長官に示されたものでした。ホワイトはCFRの一員であり、後になって共産党のエージェントの一人だったことが分かったのです。

ヒルダー:モーゲンソーはCFRのメンバーだったのですか。
ドール:ほぼ間違いなくそうだったでしょう。大統領とその長官たちが予期したように、栗栖大使はこの酷い文書を見て「これは最後通牒を意味すると理解できる」とハル長官に述べた。その結果12月6日、日本は野村大使に返事を送った。我々の諜報機関はパープル・コードと呼ばれていた日本の暗号をずっと解読していたので、それを傍受し解読した。ルーズベルト大統領は、14条項の内初めの13項目を読んだとき、「これは戦争だ」と言って、その文書の意味するところを正確に読み取ったのです。
もちろんその通りでした。他の人たちと一緒に、彼はそうなるように謀ったのですから。

ヒルダー:もう一度繰り返して下さい。
ドール:いいですとも、私は「彼がそうなるように計画した」、と言ったのです。

ヒルダー:ルーズベルト大統領もCFRのメンバーでしたか。
ドール:そうです。12月7日のその日曜日の朝9時、奇襲攻撃の約4時間前に、スターク提督は彼の部屋で14項目の日本の返事を受け取り、一緒にいたマーシャル将軍に向かって叫んだ。
「大変だ!これは戦争だ。直ぐキンメルに知らせなくちゃ」

ヒルダー:もし彼が電話でキンメル将軍に通報していたとすれば、奇襲は避けられたでしょうか。
ドール:はい、私はそう思います。ロバート・A・セオボールド提督は『真珠湾最後の秘密』の中に、電話連絡はされなかったという事実を書いています。今でもアメリカの大衆に完全には明かされていない、何らかの強い力あるいは圧力が、キンメル提督に適切、迅速に警報することを止めたのです。キンメル自身が私にこう語りました。
「スタークは『我々はキンメルに無電を打って、警戒させなければならん』とマーシャルに言いましたが、彼はそれを止め『それはやめよう、そうすると日本人に気付かれ、事態を複雑にする。私は後から彼に電報しよう』。彼は確かに、商業通信線を使う普通電報で私に知らせたのです。至急便ではなく、普通便扱いで。(その結果)すべての爆弾が落ちてしまって約2時間後、確かに私はマーシャルの電報を受け取ったよ」

ヒルダー:マーシャルもCFRのメンバーですか。
ドール:確かにそうでしょう。

ヒルダー:マーシャルの行動はとても理屈に合いませんね。日本人に探知されると事態を複雑にするから、キンメルへの通報を止めさせるというのは、大変不思議ではありませんか。
ドール:もちろん非常に不思議です。平和へのアメリカ人の強い希望と要求に反して、我々を第二次世界大戦に引き込むために、ルーズベルト大統領及び外交問題評議会のトップアドバイザーたちによって計算された情け容赦のない戦術を、これは明らかにするものです。
セオボールド提督は更に次のように述べています。
「奇襲攻撃の決定に影響を与えるいかなるチャンスも逃さず潰しておくということが大事だった。あの日曜日の朝ハワイに通報しなかった唯一の理由は…ワシントンは日本の攻撃の効果を減らす僅か一言の通報も、間に合うように送ることを拒否したのです。…このことに対するただ一つ考えられる理由は―つまり日本がアメリカに戦争しようという最後の一瞬になっても、攻撃の機会をためらわせる可能性を排除しようとしたのです。これがルーズベルト大統領がアメリカ軍の行動を縛ってしまった理由でしょう」
ルーズベルト大統領はアメリカ国民に「攻撃を加えられた場合を除いて」外地での戦争に息子たちを送りはしないと繰り返し保証していた。ところが、彼は同時にチャーチル首相に何とかして我々の国を持ち込もうと約束していた。彼は首相に「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」と語っているのです。

ヒルダー:大佐、もう一度繰り返して頂けませんか。
ドール:よろしい。ルーズベルト大統領は言いました
「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」
とね。
 




次回

   日本を挑発せよ




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