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Channel: NAZCO☆中川図画工作所
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[転載]かあさんへ

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吉幾三 

かあさんへ

作詞:吉幾三
作曲:吉幾三

あなたの背中で… かあさん
あなたの腕で… かあさん
あなたの笑顔で… かあさん
あなたへ愛しさ知った

寒くはないかい… かあさん
つらくはないかい… かあさん
この歳になって… かあさん
あなたの強さを知りました

旅先の町で 降り立った駅で
あなたに似た背中 あなたに似た女(ひと)が

幸せでしたか… かあさん
心配かけたね… かあさん
淋しくないかい… かあさん
あなたの尊さ知った

何かにつけては… かあさん
泪が出ますね… かあさん
泣く暇なかった… かあさん
あなたに昔を学びます

電話では言えぬ 手紙では遅い
ふるさとに残る 母への書いた詞(うた)

時々手紙を… かあさん
気遣い 泣き言… かあさん
分かるヨそうだネ… かあさん
あなたの弱さも知った

そのうち近々… かあさん
仕事もほどほど… かあさん
必ず帰るよ… かあさん
あなたは独りじゃありません

夜空見て都会 住みついた街で
老いてゆく母に 泣き泣き書く手紙
 




吉幾三さんのふるさと青森津軽五所川原市だということはよく知られています。吉さんはふるさとにいる母への思い、雪国をつづった歌を数多く書かれておられます。


働きどおしだった吉さんのご母堂。

辛抱強かった吉さんのご母堂。

生きる辛さと優しさを吉さんに教えられたご母堂。

九人兄弟の末っ子だった吉さんが十五歳で上京するとき、吉さんのご母堂は吉さんの旅立ちを涙で見送られたそうです。

着物を着た吉さんのご母堂が本当に行くのかと泣きわめかれたそうです。

「母さん、もう動くから、汽車でるから」と吉さんが言っても汽車から離れなかったご母堂。

町に一軒しかない楽器屋さんでご母堂が当時三千円のギターを買い、吉さんはその
ギター持って東京に出てこられた。
それが今日の吉さんの原点とも言えるでしょう。
携帯電話や通信機器が発達した今日と違い、昔は電話をかけることもままならなかった時代がありました。
遠い東京で暮らす吉さんを心配するご母堂はよく手紙を書かれたそうです。

吉さんは次のように語られています。

「手紙がおかしくてね。学校に行ってないんでね。カタカナとひらがなで書いてよこすんだよ、おふくろが、新聞の広告の裏にね、自分のしゃべる言葉で書いてくるんで『わたしたちは・・・』ではなく『わたすたつは・・・』になってるんだよ・・・

今はもう寝たり、起きたりでやっと歩けるくらいの年寄りになってるんだけど、時おり短い手紙をまだ書いてくるんですよ「この前のテレビはよかったとか、今度はいつ帰ってくるんだとか・・・」

貧しかった子どものころからずっと吉さんを包み込んでくれたご母堂の愛情。手紙ののようなかたちで「かあさんへ」を発表したのは吉さんが48歳のときでした。

筆者は18歳で友禅染め職人の道に歩むべく京都へでました。
筆者を京都へ送った帰り、筆者の母は帰途の道中泣き続けていたそうです。
数年後、筆者の母が体調を崩し、志半ばで京都から故郷へ戻ったことが、吉さんの「かあさんへ」を聞きながら走馬燈のように当時が甦ってきます。
日本の母は凛として立派でした。
かってわが国を護る為、戦禍に散った先人を育てられたご母堂、「九段の母」はもうこの世にはおられません。
日本人にとって「母」とは特別なものがあります。
自分が生まれ育った国を「母国」といいます。

身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母(ふぼ)に受くあえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり

人の身体はすべて父母から恵まれたものであるから、傷つけないようにするのが孝行の始めであるとわが国では教えられてきました。
隣国「韓国」の美容整形事情をみるにつけ、わが国はまだまだ美容整形には抵抗があるようです。



天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい)

転載元: 美し国(うましくに)


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