つづき、、。
【頭の中を整理してほしいのは、当時の朝鮮は「戦場ではない」ということです。当たり前ですが、戦場ではないので非日常的なことは起きませんし、あった場合は警察官が駆けつけます。今となんら変わらないのです。
しかも、この行政システムの警察の中には朝鮮人が多く、行政のトップの知事も朝鮮人が多数任命されていたというのが実態です。】
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しかも、この行政システムの警察の中には朝鮮人が多く、行政のトップの知事も朝鮮人が多数任命されていたというのが実態です。】

先ほど、「差別を日本人は無くそう、朝鮮人も同じ権利にしようと努力していた。この努力を日本人は懸命にしていた事実を知ってほしい」という西川さんの声を紹介しましたが、同じことを言われていた元官吏の方が他にもいます。
1942年から終戦まで朝鮮總督府に勤められていた大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんです。
この方も生前、「総動員体制から戦時体制に移行していた總督府施政において内鮮人の処遇の差別と見られるようなことのないよう常に気を遣っていた」と証言されていました。
(拙記事2013/7/27付【慰安婦強制連行があったのなら、なぜ朝鮮人男性は反乱も起こさず黙っていたのか】参照)
また、少なくとも日本の朝鮮統治35年間の後半期は非常に穏やかだったことは、韓国人の朴贊雄さん(終戦当時20歳)も自著「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」
で語っておられます。
この本の内容については、拙ブログの「外国人から見た日本と日本人」シリーズで数回に分けて紹介しています。興味のある方は過去ログをこちらからめくってみて下さい。朴贊雄さんが登場するのは(20)(21)(30)(35)です。
また、朱極南さん(終戦当時25歳)も、「日本人と韓国人に分け隔てはなく、“同じ国民”として共に助け合っていたのが実状だった」と語っておられます。
(拙記事2010/7/27付【日本統治を直視する韓国の静かなる肉声「SAPIO」01.9.26号】参照)
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1942年から終戦まで朝鮮總督府に勤められていた大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんです。
この方も生前、「総動員体制から戦時体制に移行していた總督府施政において内鮮人の処遇の差別と見られるようなことのないよう常に気を遣っていた」と証言されていました。
(拙記事2013/7/27付【慰安婦強制連行があったのなら、なぜ朝鮮人男性は反乱も起こさず黙っていたのか】参照)
また、少なくとも日本の朝鮮統治35年間の後半期は非常に穏やかだったことは、韓国人の朴贊雄さん(終戦当時20歳)も自著「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」
この本の内容については、拙ブログの「外国人から見た日本と日本人」シリーズで数回に分けて紹介しています。興味のある方は過去ログをこちらからめくってみて下さい。朴贊雄さんが登場するのは(20)(21)(30)(35)です。
また、朱極南さん(終戦当時25歳)も、「日本人と韓国人に分け隔てはなく、“同じ国民”として共に助け合っていたのが実状だった」と語っておられます。
(拙記事2010/7/27付【日本統治を直視する韓国の静かなる肉声「SAPIO」01.9.26号】参照)

桜の花出版といえば、アレン・アイルランド著「THE NEW KOREA―朝鮮(コリア)が劇的に豊かになった時代(とき)」
も発行しています。
日本が朝鮮をどのように近代化していったかを、第三国の植民地研究の専門家が、具体的な数値(統計)を提示しながら分析している本です。
こちらも大変な良書です。
西川清さんは日本の朝鮮統治の後半以降に関わった方ですが、アイルランドはその前半に関わった(記録した)ことになります。
私は「THE NEW KOREA」の書評でこう書きました。
【これを読めば、そもそも当時の朝鮮半島は、「慰安婦強制連行」など発生する土壌ではなかったことが、はっきり分かります。
日本人と朝鮮人ができるだけ公平に扱われるよう、こんなにも細心の注意を払っておきながら、一方で朝鮮人女性を慰安婦として無理やり連行して奴隷のように扱うなど、全く考えられないことです。
そんなことをしたら日本側のそれまでの努力……莫大な費用・時間・人材・労力を投入したことや、差別をなくすよう政策面で気遣ってきたこと等……が、全て水泡に帰してしまいます。】
今回、西川清さんの証言を拝読し、より強く、そのことを確信することができました。
上手く言えませんが、「THE NEW KOREA」によって“頭”で理解することができ、本書によって“心”で理解することができた、……といったところでしょうか。
以下はおまけの動画。
「ザ・ファクト」が行った西川清さんのインタビューです。
ここに登場する安倍総理大臣への手紙は、本書にも転載されています。
日本が朝鮮をどのように近代化していったかを、第三国の植民地研究の専門家が、具体的な数値(統計)を提示しながら分析している本です。
こちらも大変な良書です。
西川清さんは日本の朝鮮統治の後半以降に関わった方ですが、アイルランドはその前半に関わった(記録した)ことになります。
私は「THE NEW KOREA」の書評でこう書きました。
【これを読めば、そもそも当時の朝鮮半島は、「慰安婦強制連行」など発生する土壌ではなかったことが、はっきり分かります。
日本人と朝鮮人ができるだけ公平に扱われるよう、こんなにも細心の注意を払っておきながら、一方で朝鮮人女性を慰安婦として無理やり連行して奴隷のように扱うなど、全く考えられないことです。
そんなことをしたら日本側のそれまでの努力……莫大な費用・時間・人材・労力を投入したことや、差別をなくすよう政策面で気遣ってきたこと等……が、全て水泡に帰してしまいます。】
今回、西川清さんの証言を拝読し、より強く、そのことを確信することができました。
上手く言えませんが、「THE NEW KOREA」によって“頭”で理解することができ、本書によって“心”で理解することができた、……といったところでしょうか。
以下はおまけの動画。
「ザ・ファクト」が行った西川清さんのインタビューです。
ここに登場する安倍総理大臣への手紙は、本書にも転載されています。
2013/10/24 に公開
安倍総理に一通の手紙を出した、朝鮮総督府元内務課長の西川清さん(98歳)。
その西川さんに手紙の内容と日本統治下の朝鮮の実態を伺いました。
西川さんの「現地の女性を徴用することはなかった」という証言から、
河野談話で言われている「従軍慰安婦問題」は事実に基づかない捏造であることが分かります。
その西川さんに手紙の内容と日本統治下の朝鮮の実態を伺いました。
西川さんの「現地の女性を徴用することはなかった」という証言から、
河野談話で言われている「従軍慰安婦問題」は事実に基づかない捏造であることが分かります。
貴重な証言を伺って頂き、ありがとうございます。
終戦直後からの朝鮮と引揚の状況についても、証言願いたい。
10:00辺りからの「従軍慰安婦」についての質問開始時点で、質問者様の「従軍」慰安婦と言う言葉が有ったかどうかの質問の「従軍」という言葉が、編集で切れてしまっているので、修正お願いします。
「従軍」とは、軍に正式に所属し、軍の一部として見為された人達。
従軍医,従軍看護婦,従軍記者など。まったく軍隊と一緒に行動していた人達。
従軍医(記者も?)が簡易銃を所持していた以外は武装が出来ず、彼等も戦闘に巻き込まれて亡くなった人達が多い。
大日本帝国軍では慰安婦は従軍しなかった。
全くの非武装で非戦闘員で、戦闘時の邪魔になるから。
大日本帝国時代の方々は、「従軍」というのはとても責任ある仕事として尊重されたので、皆、「従軍」とは付かなかったと、誰もが仰って来ましたが、無視し続けて来ている人達が居ますね。当時そのままの歴史を残す事が、時代の検証や反省につながります。
日本人が遣っても居ない慰安婦強制連行や虐殺や拷問など、
不逞鮮人が遣った従軍慰安婦強制連行や虐殺や拷問など、
きちっと、事実検証する必要が有りますね。
元慰安婦の御婆さん達、どうか、偽証なさらず、事実をお話し下さる事を願います。
終戦直後からの朝鮮と引揚の状況についても、証言願いたい。
10:00辺りからの「従軍慰安婦」についての質問開始時点で、質問者様の「従軍」慰安婦と言う言葉が有ったかどうかの質問の「従軍」という言葉が、編集で切れてしまっているので、修正お願いします。
「従軍」とは、軍に正式に所属し、軍の一部として見為された人達。
従軍医,従軍看護婦,従軍記者など。まったく軍隊と一緒に行動していた人達。
従軍医(記者も?)が簡易銃を所持していた以外は武装が出来ず、彼等も戦闘に巻き込まれて亡くなった人達が多い。
大日本帝国軍では慰安婦は従軍しなかった。
全くの非武装で非戦闘員で、戦闘時の邪魔になるから。
大日本帝国時代の方々は、「従軍」というのはとても責任ある仕事として尊重されたので、皆、「従軍」とは付かなかったと、誰もが仰って来ましたが、無視し続けて来ている人達が居ますね。当時そのままの歴史を残す事が、時代の検証や反省につながります。
日本人が遣っても居ない慰安婦強制連行や虐殺や拷問など、
不逞鮮人が遣った従軍慰安婦強制連行や虐殺や拷問など、
きちっと、事実検証する必要が有りますね。
元慰安婦の御婆さん達、どうか、偽証なさらず、事実をお話し下さる事を願います。