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Channel: NAZCO☆中川図画工作所
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[転載]大日本帝国憲法に親しまう(3)。

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第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス

 ある意味で、この第三条は、大日本帝国憲法の中で、最も重要な条項であると言へる。

 民主主義といふものは、皆がお互ひに手をとりあって、向上の道を歩んでいくものだと理想主義者は考へるが、実際には、逆に、神聖なものを民衆の低いレヴェルまでひきずりおろして、悪平等を実現しようとすることが多い。(このこと自体、倫理学の興味深いテーマでもある)。

 さて、ここに、谷口雅春師が霊感をもって書かれた『君民同治の神示(くんみんどうぢのしんじ)』をご紹介する。

      君民同治の神示

 国は人間生命の外延である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。人間生命が神より生れたる神聖なるものであるといふ自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要請するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体(かくたい))である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽はれて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽はれて発現しなくなるのは其のためである。人間は自己自身の神聖性のゆゑに神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり君は客である。是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝みたまふ治(ぢ)は、君を拝むところの事(じ)と一体である。治事一体であり、治めると事(つか)へるとは一体であり、君民同治である。
天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来(きた)る。民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一事中断の形をもって現れたのである。(昭和20年12月28日午後12時) (日本教文社発行『新編聖光録』より引用)

 この神示から教へられることは、天皇は、有象無象(うぞうむぞう)の民が充満し、ミーちゃんハーちゃんがひしめくやうな下らない国に、唐突にピョコンとおはしますのではなく、精神的、倫理的に高い国民が麗しい生活を送る日本にこそ、その民の反映として、またその民のために、おはしますのだといふことである。戦後、民の神聖性の自覚が敗れたために、その反映として天皇の神聖性が一時的に中断したといふ指摘は、まさに正鵠(せいこく)を得てゐる。現代に於ても、皇太子妃殿下のご病気に関して、下等なジャーナリズムが扇情的な言論をものして人心を惑はし、それがまた悪循環を呼んでゐることは、まことに憂慮すべき亡国の所業であり、強く糾弾せねばならない。

 われら日本民族は、一日も早く自己の神聖性に目覚め、誤りかけた日本国家の進路を正常に戻すべく、渾身の力を発揮せねばならない。

転載元: koreyasublog


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