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[転載]籾井「慰安婦どこの国にもあった」→赤旗「軍による制度は日・独だけ」・米軍の売春宿とソ連軍の強姦

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NHKの籾井勝人(もみいかつと)新会長が就任記者会見(25日)慰安婦はどこの国にもあった
NHKの籾井勝人新会長「慰安婦はどこの国にもあった」(1月25日の就任記者会見)
■動画
NHK籾井新会長会見での慰安婦問題質疑応答部分
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22756324?via=thumb_watch
NHK籾井会長が正論を語る
http://www.youtube.com/watch?v=5_Jascc2yC4


http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-01-28/2014012802_03_1.html
2014年1月28日(火)、しんぶん赤旗

事実をゆがめる籾井氏発言
「慰安婦」は「どこの国にもあった」?
軍による制度は日・独だけ


 NHKの籾井勝人(もみいかつと)新会長が就任記者会見(25日)で語った旧日本軍の「慰安婦」問題に関する発言は、歴史的な事実とも異なり、成り立ちません。

 籾井氏は「日本だけがやってたようなことを言われる。戦争をしているどこの国にもあった」とした上で、ドイツ、フランスなど国名を挙げ、「欧州はどこだってあったでしょう」など日本軍「慰安婦」問題を正当化しました。しかし、第2次世界大戦で軍が組織的・系統的に「慰安婦」制度をつくっていたケースは、日本とナチス・ドイツだけです。

 日本の場合、「慰安所」設置の計画立案、ブローカー(業者)の選定・依頼・資金あっせん、女性集め、女性の輸送、「慰安所」の管理、建物・資材・物資の提供など、全面的に軍が管理運営したことが、旧陸海軍や政府の関係資料でも明らかになっています。1993年の河野官房長官談話でもこうした旧日本軍の関与を認めた上で、「強制的な状況の下での痛ましいものであった」として謝罪しました。籾井氏の発言は、この政府の見解にも逆行するものです。

 日本の戦争犯罪・戦争責任について調査・研究を進めてきた「日本の戦争責任資料センター」は昨年6月に発表した声明で、「日本軍『慰安婦』制度と同じような制度が世界の各国にもすべてあったかのような主張がなされているが、その根拠を示す資料はまったく提示されていない」「日本軍『慰安婦』制度のような国家による組織的な性奴隷制度を有していたのは、日本とナチス・ドイツだけであった」と指摘しています。


日韓基本条約で解決済み?
人権・人道の問題は未解決


 籾井会長は「韓国が、日本だけが強制連行したみたいなことを言っているから話がややこしい。(補償問題などは)日韓(基本)条約で解決している」などと述べました。

 しかし、「慰安婦」の証言などで真相が明らかになってきたのは、「日韓基本条約」「日韓請求権協定」の締結(1965年)後の90年代以降のことです。

 同条約・協定は、日本がかつて朝鮮半島で行った投資などの財産の権利や両国政府・国民の請求権に対する「外交保護権」を放棄しただけで、請求権そのものは消滅しないというのが日本政府の見解です。また、いずれの条約・協定も「慰安婦」などの人権・人道上の問題を解決したものではありません。

 さらに、同協定第3条1項は、協定の解釈や実施について紛争が生じた場合、「外交上の経路をつうじて解決する」と規定。日本外務省も、新たな紛争発生時には「まず外交上の経路を通じて解決するため、可能なすべての努力を試みなければならない」(「解説・日韓条約」、『法律時報』1965年9月号所収)と指摘しています。

 2013年5月、国連の人権条約機関=拷問禁止委員会と社会権規約委員会は、「慰安婦」問題への日本政府の対応を相次いで批判し、是正を求める勧告を行ってきました。

 同協定の条項や国連機関の勧告に照らしても、日本政府が韓国側との協議に直ちに誠実に応じるべきことは明らかです。
 日本の公共放送の代表者であるNHK会長が政府の見解や謝罪を無にするような発言を行ったことは、日韓関係や両国国民間の感情に重大な悪影響をもたらすものです。


>籾井氏は「日本だけがやってたようなことを言われる。戦争をしているどこの国にもあった」とした上で、ドイツ、フランスなど国名を挙げ、「欧州はどこだってあったでしょう」など日本軍「慰安婦」問題を正当化しました。しかし、第2次世界大戦で軍が組織的・系統的に「慰安婦」制度をつくっていたケースは、日本とナチス・ドイツだけです。


「しんぶん赤旗」が述べていることは、真実を誤魔化しており、出鱈目と言って良い。

「しんぶん赤旗」の記事では、「第2次世界大戦で…」と限定しているが、基本的に殆どの軍隊が戦時に売春婦を利用している。

例外は、ソ連軍(ロシア軍)とモンゴル軍だけだ。

ソ連軍とモンゴル軍は、戦時に売春婦を利用せず、敵国の婦女子を強姦することを伝統としている。(後述)

―――――――
 近代に入り各国は、戦場における強姦と性病の罹患を防止するため、軍隊は売春婦を伴うのが一般的になったが、ロシアだけは野蛮のままに、その侵攻するところ、ところかまわず「敵」側の女性を強姦・陵辱し殺害する。だから冒頭にかかげたような「満州の日本婦女子の地獄」が生じたのである。軍を除く一般邦人155万人のいた満州でソ連兵に強姦されたが帰国できた日本の婦女子の数字については「約30万人」、強姦後に殺害されたもの、自殺したもの、行方不明になったもの、残留したものは「約5万人」と大雑把な推定をしておく。今後の精密な被害者推計の研究をまちたい。が、「従軍慰安婦」をレイプだ、人権侵害だと主張する日本のフェミニスト全員がこれに黙しているのは、「従軍慰安婦」問題の本質と背後のうごめきを明らかにしている。

さて、戦時における軍隊の将兵の性の処理は、大きく四つある。

Ⅰ、モンゴル/ロシア型の敗戦側女性に対する無制限の強姦。
Ⅱ、前線の近くの都市に売春婦の街をつくり(既存のがあればそれを管理し)、前線から定期的に兵士を後送して利用させる制度。戦争終了後の占領であれば占領地に(それを職業とする)現地女性をもってその売春管理施設を設置する。
Ⅲ、出征する軍が、売春婦を雇用する民間の置屋を一種の軍属的に同行させ、前線よりやや後方の、兵站部隊あたりに設置する。「従軍置屋」である。
Ⅳ、売春婦が勝手に軍部隊の駐屯(野営)地に群がる。


 軍の将兵は、聖人でもないし修業僧でもない。とりわけ戦場では明日の生命は保障されておらず死と直面し、また質の悪い兵隊はいくらでもおり、平時以上に性の処理の問題が生じる。かくして、戦争に際して上記の四つの形態以外は存在しえないし、かつて存在したことはなかった。ヨーロッパからアラブに侵入した十字軍は、将兵の数とそのあとに群れてついていった売春婦の数がほぼ同数であったという。第Ⅳ型である。
 Ⅰ型は許されざることである。Ⅱ型とⅢ型はⅠ型を防止する機能をもつから、「必要悪」とするべきであろう。レイプは防止しなくてはならない。20世紀においても、ロシア(ソ連)は13世紀のままにⅠ型を踏襲し、ドイツ/フランスはⅢ型を主とし、米国はⅡ型を基本とした。ヒットラー下のドイツは、「第三の敵」ユダヤ人女性その他の特定民族の婦女子を、強制的に置屋に配置させた。Ⅰ型に近いⅢ型であった。

 第2次世界大戦における戦場でのレイプ発生率については、日本軍は他国に比して際立って少ない。まさしく称讃されるべき世界第1級の模範軍であった。Ⅲ型の「従軍置屋」制度を運用し、戦場の「敵国」女性を保護する政策を立派に遂行した、その結果であった。また、慰安婦がすべて民間の純粋な「市場」において集められた点でも世界の範であった。このⅢ型は第1次世界大戦でドイツ軍とフランス軍が制度化したとも言えるから、1930年代以降の日本軍はそれを模倣したのである。「従軍置屋」をもって、「日本のみがなした野蛮な制度」とするのは歴史事実に反する。日本を中傷するための悪意ある嘘である。

『歴史を偽造する韓国――韓国併合と搾取された日本』中川八洋著 (2002/04)

―――――――



米国の場合は、前線の近くの都市の売春宿を利用したり、売春街をつくったりして、外国人や敵国人の売春婦を利用した。

米軍は、大東亜戦争では日本で、朝鮮戦争では南朝鮮で、ベトナム戦争では南ベトナムで、売春宿を利用している。


例えば、GHQは日本占領中に慰安施設の増設を指示した。

RAAは1945年8月18日内務省警保局長通牒「外国駐屯地における慰安施設について」に基づいて作られた、日本政府による占領軍性犯罪防止の為の慰安所だった。

しかし、占領軍による性犯罪はその程度のもので緩和されるものではなく(例:1945年8月30日一日の、神奈川県下のみで発生したアメリカ兵による強姦事件315件)、1945年9月28日にGHQ軍医総監が東京都衛生局に対して慰安施設の増設を指示した。
※広岡敬一著『戦後性風俗大系』参照


占領軍兵士向けに日本政府が慰安所をつくったというのは最初の物だけで、慰安所の多くはGHQの指示(実態は命令)によって作られた物だった。

1994/09/17, 産経新聞
【正論】
地域改善啓発センター理事長・磯村英一
日本軍だけでない慰安婦問題


命令された娯楽施設の怪

(一部抜粋)

直接その問題にはかかわりがない私が、発言をするのは、この慰安婦の問題は、決して日本の軍隊だけでなかったという事実を、私自身が経験しているからである。
日本の終戦直後、私は東京都の渉外部長で、占領軍司令部の命令に、"サービス"を提供する役割を課された。戦勝者の命令は絶対である。
僅か一、二週間の間に占領軍の兵隊のためにワシントン・ハイツ等という名の宿舎の建設が命令され、将校たちのためには、洋式のトイレの住宅を接収し、提供した。
敗戦の年のクリスマス、司令部の将校から呼ばれて"ヨシワラ"の状態の報告を命ぜられた。
もちろん、その地区は焦土と化していた。命令は宿舎を造って、占領軍の兵隊のために、"女性"を集めろということだった。
命令は英語で"レクリエーション・センター"の設置である。最初は室内運動場の整備だと思ったが、そうではない。旧"ヨシワラ"のそれであった。


占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 「旧日本軍は強制」ホンダ議員言明
2007年5月6日、産経新聞

 【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。(略)

 AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。

(中略)

 AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を命じた一連の日本語書類が発見されたと報じ、その内容として
(1)1945年8月末から9月にかけ、米軍の命令を受けて日本政府の内務省などが東京はじめ茨城県などの地方自治体に「慰安婦」集めを指示し、合計7万人以上の女性が売春に従事した
(2)米軍当局はそれら女性の一部は強制徴用されたという報告があることを知りながら、慰安所開設を認め、連日連夜、米軍将兵が詰めかけることを許した

と報道した。
同報道はこの米軍慰安所にかかわって当時の日本側関係者数人を実名で紹介し、その談話をも引用した。
(以下略)


その後も米軍は、朝鮮戦争やベトナム戦争などでも、戦地で売春宿を利用している。





>日本の場合、「慰安所」設置の計画立案、ブローカー(業者)の選定・依頼・資金あっせん、女性集め、女性の輸送、「慰安所」の管理、建物・資材・物資の提供など、全面的に軍が管理運営したことが、旧陸海軍や政府の関係資料でも明らかになっています。


「しんぶん赤旗」は、「慰安所」について、「女性集め」など全面的に日本軍が管理運営したと述べているが、それは事実に反する。

基本的には、朝鮮人経営者を中心とした民間業者が女性集めなどをし、軍は婦女子の誘拐などを取り締まったり、慰安婦の性病などを検査したり、女性の輸送などの安全確保に協力したりしていただけだ。

例えば、日本軍は、業者が慰安婦の強制連行をすることを禁じる通達文書を出している。

軍慰安所従業婦等募集に関する件
「軍慰安所従業婦等募集に関する件」1938年3月4日付陸軍省兵務局兵務課起案(梅津陸軍次官押印)による、北支・中支軍参謀長宛の副官通達案(陸軍省公文書)。防衛庁防衛研究所蔵 陸軍省大日記類 陸支密大日記 昭和13年第10号 陸支密第745号
【要旨】
内地(日本)において慰安婦を集めるときに業者のなかには誘拐まがいの方法で集めている者がいて、地元で警察沙汰になったりした例があるので、それは軍の威信を傷つける。
そういうことが絶対にないよう、業者の選定も厳しくチェックし、そうした悪質な業者を選ばないように。



そして、実際に、日本の官憲は、朝鮮人の女衒(業者)に誘拐された朝鮮人女性を救出したりしていた。
日本の官憲は悪徳女衒(鮮人)に誘拐された朝鮮の女性を救出していた
日本の官憲は悪徳女衒(朝鮮人業者)に誘拐された朝鮮の女性を救出していた!





>1993年の河野官房長官談話でもこうした旧日本軍の関与を認めた上で、「強制的な状況の下での痛ましいものであった」として謝罪しました。籾井氏の発言は、この政府の見解にも逆行するものです。


その「河野談話」「河野談話」の元ネタとなった朝日新聞によるキャンペーン及びフォローが、余りにも嘘出鱈目のオンパレードだったことが判明してきたため、日本維新の会は、河野洋平と朝日新聞社社長を国会で証人喚問する署名活動を始める。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140129/stt14012918160006-n1.htm
慰安婦問題で河野氏と朝日社長の証人喚問要求 維新が署名活動へ
2014.1.29 18:15、産経新聞

 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」をめぐり、日本維新の会は29日、河野氏に加え、河野談話の見直しに否定的な朝日新聞社社長の国会への証人喚問を求める署名活動を週明けに開始する方針を決めた。

 維新の「歴史問題検証プロジェクト・チーム」(座長・中山成彬元文部科学相)の事務局長、杉田水脈衆院議員が29日の党代議士会で明らかにした。中山恭子元拉致問題担当相ら女性議員が署名の呼びかけ人に名を連ねる予定だ。





>日本の戦争犯罪・戦争責任について調査・研究を進めてきた「日本の戦争責任資料センター」は昨年6月に発表した声明で、「日本軍『慰安婦』制度と同じような制度が世界の各国にもすべてあったかのような主張がなされているが、その根拠を示す資料はまったく提示されていない」「日本軍『慰安婦』制度のような国家による組織的な性奴隷制度を有していたのは、日本とナチス・ドイツだけであった」と指摘しています。


「日本の戦争責任資料センター」の指摘は、大嘘だ。

そもそも、日本軍の慰安婦は、性奴隷などではなく、大金を荒稼ぎした売春婦だった。(詳細記事

「性奴隷」というのは、ソ連軍によって強姦被害に遭った日本人婦女子のことを言う方が相応しい。

「戦後引揚げの記録」若槻泰雄著 (1995年)P123
―――――――――
荒れ狂う婦女暴行

ソ連兵の日本婦人への暴行は、すさまじいの一言に尽きる。
それが十二、三歳の少女であろうと、七十歳近い老婆であろうと、そして、人前でも白昼でも、また雪の上であろうとも、そういうことは全く頓着しなかった。
樺太の場合同様、女性たちは丸坊主になり顔に墨をぬり男装して難を逃れようとしたが、彼らは一人一人胸をさわって女であることを確かめると引き立てていった。

南満へ疎開した人達が、終戦後また新京の自分の家に帰る途中、公主嶺の駅で進駐してきたソ連軍の列車とばったり出くわしたとき起こった事件は「誰知らぬ者もない事実だ」という。

それは、あわてて発車しようとする日本人の乗っている列車をソ連兵が止め、女は一人残らずプラットフォームに降ろされ、「白日の下、夫や子供や公衆の真ん前で集団暴行を受けた」のである。

もとより日本女性のすべてが唯々諾々とソ連兵の毒牙に身を任せたわけではない。
陵辱に耐えかねて、死をもって抗議する若い婦人、暴行から身を守ろうとみずから死を選ぶ人妻もいた。

例えば敦化の日満パルプ株式会社の社宅では、ソ連軍は命令によって男と女を分離させ、170人の婦女子全員を独身寮に監禁し、夜となく昼となく暴行の限りを尽くしたが、この際、23人の女性は、一斉に青酸カリによって自殺している。

『戦後引揚げの記録 新版』若槻泰雄著(1995年10月発行)
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若槻泰雄著 『戦後引揚げの記録 新版』時事通信社 1995年10月発行P126
『戦後引揚げの記録 新版』若槻泰雄著(1995年10月発行)
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[読者手記 53編] 文藝春秋・特別号 '83・9掲載

 昭和20年8月20日頃であったろうと思う。…(略)…ぶきみという程静かな日が続いていたので、新京の街で何が起こっていたのか解らなかった。
 そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。
 次の女性はモンペだけをはぎとられて下(しも)の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死んでいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。
「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」。次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたりに見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じる
と同時に、道徳も、教養も平和な中にのみあるのであって一つ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたないのだ。
…(中略)…1週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無残、残酷さに敗戦のみじめさを知った。
 銃でうたれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、自分の体重の3倍以上もある毛むくじゃら男数名になぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。
…(中略)…また女医さんに聞いたことだが、「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるんです。また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」と語られたことを想い出す。
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出典:『週刊朝日百科113 日本の歴史 現代③ 占領と講和』第79頁
出典:『週刊朝日百科113 日本の歴史 現代③ 占領と講和』第79頁
出典:『週刊朝日百科113 日本の歴史 現代③ 占領と講和』第79頁




戦時に売春婦を利用せず、敵国の婦女子を強姦することを伝統としているソ連軍によって悲惨な目に遭わされたのは、日本人だけではない。

ドイツでも同様の惨劇があった。

ソ連軍による強姦被害を受けたドイツ人は、200万人以上、ベルリンだけでも、13万人と言われている。

――――――――――
ドイツ戦線でのソ連軍将兵の素質の悪さは定評があった。
ドイツでは老女から4歳の子供に至るまで、エルベ川の東方で暴行されずに残った者はほとんどいないと言われている。
しかもその残虐行為は上からの指示によるとも伝えられている。


ソ連軍がベルリンに突入して制圧した際、スターリンは兵士に対し「ベルリンはおまえたちのものだ」といい、3日間の祭りを許可した。
ベルリンの女性のほとんどがソ連兵によりレイプされ、連合軍に届けられたものでも10万件を越えた。また暴行による自殺者は6000人を数えた。

「カラーで見る第二次大戦・勝利と絶望」1999年12月10日、NHK教育放送

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http://www.fben.jp/bookcolumn/2005/01/post_587.html
「ベルリン陥落1945」
著者:アントニー・ビーヴァー
、出版社:白水社 
(一部抜粋)
 600頁からなる大作です。ヒトラーのユダヤ人大虐殺をはじめとするファシズムの暴虐は絶対に許すことができませんが、この本は、スターリン指揮下のソ連赤軍の信じられないほど大がかりな蛮行をも明るみに出しています。ベルリンでソ連軍によってレイプされた犠牲者は13万人(うち1万人が自殺した)、全ドイツで少なくとも200万人のドイツ女性がレイプされたという。ただ、これも、ナチス・ドイツの捕虜となった赤軍兵士が英米軍人の捕虜とは差別され、まったくケダモノ同然で虐殺されていたことへの反動だった側面も否定できないと指摘されている。もちろん、だからといって報復レイプが許されるわけでは決してない。

 生きのびたドイツ共産党員がソ連軍を歓迎したところ、その妻や娘までもソ連軍にレイプされてしまった。その結果、多くのドイツ女性が性病にかかって治療を受けなければならなかった。これでは東ドイツでソ連の評判が悪かったのも当然だ。多くのソ連将校がドイツに占領地妻をかかえ、帰国のときソ連国内にいた妻の憤激を買った。もちろん、ドイツ人の男性も無事だったわけではない。捕虜としてソ連へ連行されて強制的に働かされた。生きて帰ったのは3分の2のみ。
(霧山昴)

「ベルリン陥落 1945」アントニー ビーヴァー (著),川上 洸 (翻訳)
――――――――――



ベルリン終戦日記 -ある女性の記録

「ベルリン終戦日記―ある女性の記録」(2008/5/27)





>日韓基本条約で解決済み?
>人権・人道の問題は未解決



赤旗は、馬鹿だ。

全て解決済みだし、そもそも「人権・人道の問題」があったのは、朝鮮(韓国)側だ。


 
 
 
 
 
 
 
 
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転載元: 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現


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