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Channel: NAZCO☆中川図画工作所
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都知事候補ドクター中松(中松義郎)さん

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東京都知事選でまずは愛国心のない候補者は眼中にはない。しかしこのかたはどうだろう?
調べる必要がある

正直,ドクター中松(中松義郎)さんを良く知らなかったので、知りたいと思った。




ここが大事だ
 
マスゴミが中松さんを軽く扱って来たが全然違う!いまその訳が分かった。

何故こんな重大な事が今頃になって知らされるのだ

!その70年の間に大半の日本人が大馬鹿者の人生を

歩まされた。それなら、戦後の恥知らずな教育を受

けて育った我々日本人は全員自決して覚醒した日本

人の若者に全てを任せよう。

中松さんは東京帝大最後の卒業生、
当時,帝大生は菊の御紋のために学び働いた。

いまの東大は,菊の御紋が剥がされ、占領軍がレベルダウン
させて作った,現在世界30位に堕ちた。

スジ=理論的ただしさ,現行憲法は全く筋が通らない。
日本国民はまことに従順なのか。

改憲論:戦後教育を受けた人間の知識だけでは改憲は無理。

現行憲法は無視しよう。


占領憲法&占領典範の無効確認に集まった方々が凄すぎる。

関連


ドクター中松さんが立候補を続けることにはちゃんと理由があったのだ。
マスゴミはわざとそれを阻害して来たのではないか?
中松 義郎(なかまつ よしろう、通称: ドクター中松1928年昭和3年)6月26日[1] - )は、日本の発明家実業家である。灯油ポンプフロッピーディスクの原理など、多くのものを発明し、多数の特許を取得した[要出典][2]東京都知事選挙に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった[3]。「ドクター中松創研」代表取締役、日本文化振興会会長[4][5]
アパグループ広報誌「アップルタウン」では「サー中松義郎博士」と表記されている[6]が、いつどこから学位や爵位を受けたのかは全く不明。

                                                

生い立ち[編集]

東京府出身[7]。母親は東京女子高等師範学校を卒業した教師であった[8]。学校は、はじめ麹町小学校越境通学した後、東京・原宿の自宅から至近の青山師範学校付属小学校に4年生から編入した[8]
その後は旧制麻布中学校海軍兵学校舞鶴分校[9]、旧制成城高等学校理科甲類。東京大学工学部を卒業した[7]。卒業後は三井物産に就職した[7]。ヘリコプターの営業に携わり、この際にヘリコプターによる農薬散布を発案したという。
1959年昭和34年)、イ・アイ・イに入社、専務副社長を歴任した。1971年(昭和46年)、同社社長との対立から独立した中松はナコー(現在のドクター中松創研)を設立、自らの研究開発の拠点とした。                                                  

                  「送電線架設装置」を発明した中松義郎(1950年代)

発明家として   

灯油ポンプやフロッピーディスクの原理など多数を発明した[7]。これまでの発明件数は3,000件以上であり、トーマス・エジソンの1,093件を上回り世界一だとしている[1]。しかし、エジソンの発明が1,093件というのはアメリカ国内で取得した特許の件数であるが、中松による日本国内での特許取得件数は1991年時点で193件であり、中松の「3000件以上」という数字には特許を取得していない「発明」が多数含まれている[10]。また、特許取得件数のギネス世界記録では工学博士の山崎舜平が2004年に3,245件の特許を取得したとして世界一に認定(2011年には6,314件で再認定)されており、中松を大きく上回っている。
1980年から1993年にかけては「発明件数2,360件」と主張していたが、『宝島30』1993年11月号に掲載された記事『「ドクター中松」という珍発明』(松沢呉一)において発明件数が10年以上も全く変化していないことを指摘されて以降は、現在の「3,000件以上」という主張となった[10]

政治家として

初めは1991年東京都知事選挙に無所属で立候補、“21世紀の地球都市を発明する”の基本政策を掲げ、自作のジャンピングシューズ(ピョンピョンシューズ又はフライングシューズ)を履いたパフォーマンスを行った[3]。結果はわずか2万7,145票で惨敗ではあったが、その一方でバラエティー番組に「奇抜な発明家」として登場する機会も増え、一躍有名人になった[3]
翌1992年の参院選には比例区に政党「発明政治」を率いて出馬したが落選した[3]
また、1995年東京都知事選挙に立候補を表明するも[11]、告示前に断念し[12]上田哲候補の応援に回っている[13]
2003年都知事選では、会見で「ドクター中松ディフェンス(DND)」という発明品で、「ミサイル攻撃を防止できる装置の発明で、首都を、そして都民をこのミサイル攻撃から救う」「北朝鮮のミサイルをUターンさせられる」などと発表した[3]
2005年のインタビューで「元来、政治家は国のために働くもの。『国のため』という気概をどの程度が持っているかが重要なポイントだ」と政治家には愛国心が必要であると訴えた[14]
2007年、第21回参議院選挙に立候補した際に発表した「ドクター・中松ドクトリン」には、「私にしか出来ない最先端の発明が日本のためになる」
「官僚はよく働く者のみなし数を1/2にする」
「現行憲法は存在しない。現行憲法の名称は大日本帝国憲法の昭和二十一年改正であるべきである」等記載されていた。
2011年の都知事選に無所属で出馬した時には記者会見で、当選しない場合はあと10回以上選挙に挑戦しつづけると宣言した[15]。また80代の年齢で都知事の激務に耐えられるかを尋ねられ、筋トレで身体を鍛えているため80歳時点で50トンの重り(キログラムの誤記ではない)を持ち上げることができ、体力に問題はないと答えた[16]
2012年都知事選では、届け出名をそれまでの「ドクター」から本名に変えたが、これは橋下徹が「『カタカナ名前はふざけている』と言ったらしい」というのが理由であるという[17]
2013年、第23回参議院選挙を前に小林興起が設立した政治団体つばさ日本の最高顧問に就任し、公認候補として比例区から出馬すると発表[18]。しかしその後つばさ日本が候補者の選定などに難航し、同選挙への候補者擁立見送りを発表する[19]と、無所属で東京都選挙区から立候補すると発表した[20]。届け出名については前回につづき本名の「中松義郎」で届け出るとしており、理由については「偽物の博士が多くなった。一緒にされては困る。」と語った[21]


憲法を変えるというのは有識者の中では常識だが、一般国民にはまだ浸透していないのが現実。
しかし,急がねばならない!
積極的に占領憲法を棄てて、最初から最後まで書き直すことを目指さねばならない。


関連で、平成22年の青山さんのはなしを再確認【青山繁晴】憲法改正論と憲法無効論[桜H22/7/16] - YouTube


  • 81.名無しさん :2013年12月23日 20:24 ID:zZfGyCKE0
  • 自分の子供もが殺されかけてても「私は戦争したくない」って言い切れるなら九条を後生大事に抱えてればいいんじゃない。

    世界中の国々が日本の平和憲法を称賛してるのに、なぜ世界中の国(特に先進国)は9条を導入し、核や軍を棄てないのか。

    中国は沖縄まで領有宣言出しただろ?その時点でお察し
    あいつらが平和主義wならチベットやウイグルは蹂躙されてないし、南沙諸島やカシミールは侵略されてない。

    誰かを信用するだけじゃなく疑う心も大切。
    アメリカも弱ってきたから、今までのように安保で守ってもらえるとは限らない。

    自国の防衛を他国に頼る時点で異常な事。
    あんたら9条フェチが言ってるのは火事になるから火を使うなと同義だよ。

    っと、最近左翼日教組からの洗脳が解けた新米ですww





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