転載元:九条教 ‐ 通信用語の基礎知識
由来
善悪基準
九条教での善悪の判断基準は、次のようになる。
- 自国の政府に対しては性悪説
- 他国の政府に対しては「誠意を持って話し合えば解決できる」性善説
つまり、二重の基準(ダブル・スタンダード)である。
日本だけが悪い
九条教では、日本だけが悪いと考える。
- 戦争は悪いこと。対話、話し合いで解決するべき。
- 自衛隊は、平和憲法に反する戦争の道具で、平和を脅かす存在である。
- 支那や北鮮が軍拡するのは、日本と米国がアジアの平和を脅かしてい るから。生存のため、仕方がなく軍拡をしている。
- 違憲な自衛隊があるから、アジアの平和は乱れる。
- 自衛隊がなければ、今のような軍拡は必要がなくなる。
- 結果、アジアは平和になる。
- 従って、自衛隊は速やかに解散するべきである。
つまり、アジアの、そして世界の恒久平和を乱す元凶は、実は日本の
自衛隊である。日本は速やかに武装解除をするのが、世界の平和の第一歩。
これが、九条教の最終的な結論である。
ジュネーブ条約を根拠とするとされる「無防備地域宣言」(または無防備
都市宣言)を自治体で制定させようと国内で活動家が動いているが、
これも九条教の結論を実現させるための活動である。
助けて無防備マン!
「軍隊が無ければ襲われない」ことが証明できないと、この理論(九条教の
教義)は実証不可能である。しかし、この理論を実証できる土地は地球上には
無く、従って永遠に実証はできない。しかし九条教の思想では、「自明の理
、証明不要」として扱われている。
その一方で歴史を省みれば、反証は無数に存在する。力が及ばず、他国や
他文明に滅ぼされた国や文明は、枚挙に暇がない。
また、「戦争、国同士の喧嘩」という、今の日本には非現実的な話ではなく
、より身近な例でも、無防備が本当に安全かどうかは検証できる。
例えば、街中を歩くときは無防備、丸腰が常識である。何の武器も持ってな
い状況であるのに、通り魔、ひったくり、強姦などの被害に遭うのは、何故
なのか。
- 答え: 何も武器を持っていなかったから
- 良くある誤答: 対話が足りなかったから
留守の家に空き巣が入るのは、何故なのか。
- 答え: 警備がいなかったから
- 良くある誤答: 対話が足りなかったから
悪い人、つまり敵の良心に期待するのは、無理なことなのである。
対話
戦争が国内公共事業である米国も、実は対話をしている。しかし「対話、
話し合いで解決するべき」というのは、夢想である。なぜなら多くの場合、
戦争とは外交という対話が決裂した結果だからである。
「諸君 私は戦争が好きだ」などというのは、平野耕太著「ヘルシング」の
少佐くらいしかいない。国は、理由もなく戦争などしない。国民が死ぬから
である。
なお、この「対話」も、最終的には暴力と言う切り札があるからこそ、実現
できるとも言える。労働組合が賃上げを要求できるのは、組織という力、
組合員という数の暴力があるからであり、個人でベアベア叫んでも誰も聞く
耳など持たない。
つまり、最後にものを言うのは、暴力以外には無い。これは、「秋葉原通り
魔事件」の加藤智大も実践した。彼の結論は、百の議論より一の暴力だった
わけである。
まずは身近から無防備に
無防備を信仰すること自体は、日本では合法であり、人に迷惑を掛けなけれ
ば、実践することも自由である。
しかし、無防備を論ずる者が、夜や、外出時に家に鍵を掛けているのかどう
かが、彼らの本気さの指標となる。殆どの場合、鍵で「防備」し、のみなら
ず民間のセキュリティで「厳重な防備」をしている。
発言と行動が矛盾することは、美しいことではない。
鍵は掛けず、また「無防備宣言」として無施錠、無警備を宣言する看板でも
立てることが、本気の無防備住宅であろう。
結論
日本国憲法第9条は、実は「国際紛争を解決する手段」以外なら、軍事力を
使っても良いことになっている。軍事力の一切を使ってはいけないわけでは
なく、つまり自衛隊は合憲である。もっとも、ではどういう場面で使えるの
か?という点は、様々な議論がある。
さて、日本の周辺地域は不幸にも紛争地帯(朝鮮半島、中共vs台湾、ロシア他)
であるが、世界第二位の経済力を持ち、温厚で礼儀正しい国民が無防備でい
たらどうなるか、おのずと結論は出てくるところである。
九条教の信者で、経済アナリストとして知られる森永卓郎が、2004(平成16)年
3月29日のテレビ番組「TVタックル」で、次のように語った。当該映像は
Youtubeにもアップロードされていることが確認されている。
日本人は押し付けられたかも知れないけど憲法9条って非常に美しい条文を、受け入れて今まで守ってきたわけですよ。で、私はね、仮に、とんでもない奴が攻めてきたら、もう、黙って、殺されちゃえばいいんだと思うんですよ!(エーッ!/スタジオの観衆ら)
この後は大混乱となる。
それで戦争しなくって、平和を守るんだって言い続けて、ああ、そんないい民族がいたんだなって思えばいいじゃないですか!
九条教も狂信が進むと、信者である無しを問わず、「皆で殉教しよう」、
という境地に至るようだ。
これは、終末論を唱え、テロルや集団自殺をしようとするカルト教団と、
何ら変わる所はない。